INTRODUCTION
オーストラリアは、第二次世界大戦後北大西洋条約機構(NATO)の発足により、アジア・オセアニア地区でのNATOに対抗する組織が必要だとして、オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ合衆国の3国による軍事同盟(太平洋安全保障条約)を1951年9月に発足させた。そのことにより、オーストラリア・ニュージーランド両軍は、アメリカ合衆国の大義を掲げた戦争へ参加することになる。ベトナム戦争では、オーストラリア軍兵士延べ5万人が配置され、約450人が戦死、約2,400人が負傷した。オーストラリア軍の有能な指揮官とチームワーク(マイトシップ)が、このロングタンの壮絶な死闘の勝利を可能にしたのである。
監督は、映画・TV・CM・ミュージックビデオ等で幅広く活躍するオーストラリアで最も活躍するクリフ・ステンダーズ。D中隊長を演じる主役に、『荒野にて』(17)などハリウッドでも活躍するオーストラリア出身の人気俳優トラヴィス・フィメルを起用。2020年、ベトナム戦争でオーストラリア軍が参戦した知られざる戦闘をリアルかつ臨場感に満ちた戦闘シーンを再現した本格戦争映画が日本に上陸する!!STORY
中隊長である少佐は、素人同然の徴集兵を率いることに意義を見出せず、准将(リチャード・ロクスバーグ)に特殊部隊への異動を希望するも却下されていた。士気がままならないなか、第10、11、12の3小隊に分かれて前線を進む。ロングタンのゴム園に差し掛かると第11小隊がベトコン兵と遭遇。交戦となるがベトコン兵は散り散りに逃げて行く。安心した小隊は前進するも、既にベトコン兵の大軍に囲まれてしまっていた。自らの命を顧みないベトコン兵は容赦なく機関銃掃射で襲い掛かる!四方八方から銃撃を受け、戦闘開始からわずか20分で28人構成の小隊のうち半数以上が負傷。味方からの応援部隊も近づけない平坦なジャングルで小隊は絶体絶命の状況に追い詰められてしまう。
ベトコン兵から放たれる機関銃の嵐の中、少佐は遂に基地へ指令を出す。目前にいる敵へ後方から迫撃砲を撃つ要請をしたのだ。「責任は取る。極限着弾(デンジャー・クロース)を要請する」。それは味方に対して超至近距離で撃つことになり、小隊が全滅してしまう危険な作戦である。一方基地本部では、応援の大隊を出撃させるかの判断をする時が迫っていたのだった…。
COLUMN
1ATFは、周囲の道路を介して前方に直接リンクするロジスティックな拠点設立に努めた。これに対し北ベトナム人民軍275連隊(以下NVA)は同年8月16日までに、ヌイダット基地の砲火射程範囲外のロングタン近くに進出、8月16日の夕刻から17日にかけて、迫撃砲、反動砲を以て東方の2キロメートル地点からヌイダット基地を攻撃した。
本作冒頭でも描かれたこの攻撃によりヌイダット基地施設の一部は破壊され負傷24戦死1を出したが、NVAの砲撃位置を的確に掴んだ味方砲兵隊の反擊砲火によりこれは沈黙した。翌朝1ATF旗下 大隊長コリン・タウンゼンド中佐のローヤル・オーストラリア連隊第6大隊(以下6RAR)B中隊に基地の東側エリアのNVA掃討及び発砲点・撤退方向確認が下令され、パトロールと索敵殲滅任務に赴く、作戦名「スミスフィールド」の発動であった。そしてB中隊は作戦行動中、迫撃砲と無反動砲を含む武器ピット発見に至ったのである。その後8月18日の朝にはハリー・スミス少佐率いる6RAR-D中隊に交代し任務を続行する事になる。D中隊がゴム農園付近、まさにロングタンを索敵掃討中、突如連隊規模のNFL・NVA部隊と接触し、たちまちの内に3方面からの猛攻撃に晒された。これが6RAR-D中隊108人vs NFL・NVA部隊2,000人と推定されるロングタンの戦いのはじまりたった。激しい豪雨とプランテーションを覆う濃い霧の下での戦闘は過酷を極め3時間以上に渡り戦ったとされている。
数時間後激しい戦闘が続き弾薬も尽きかける最中、ローヤル・オーストラリア空軍第9飛行隊から2機のUH-1Bイロコイが補給のために頭上に飛来、急報を受けた大隊長コリン・タウンゼンド中佐は将軍を説伏せ留守居部隊のA中隊B中隊そして第1装甲兵員輸送中隊に援軍を命じた。
しかし敵兵は目前に迫る!決断は砲撃要請デンジャークロスだった。絶えない窮地の中、最初に到着したのはB中隊のパトロール、続いてA中隊も到着、第1装甲兵員輸送中隊7輌のM113装甲兵員輸送車APCが形成されていたNFL・NVA部隊の包囲陣形に対する攻撃を開始した。強力な火砲の援護を受けてD中隊は各隊と合流、ヌイダットからの騎兵・歩兵の救援部隊は攻撃の手を緩めずNFL・NVA部隊は退却を余儀なくされたのである。しかし戦果の程は、翌日まで不明であった。確認されたNFL・NVA部隊の戦死者245人、味方の損害は6RARの17名と第1装甲人員輸送隊の1名が戦死した。
と言うのが史実! 実際の戦闘詳報と記録に沿った作品となっている。
他のベトナム戦争映画と比較してみると、題材やストーリーの趣旨は「ワンス・アンド・フォーエバー」のそれを踏襲しているかのようだ。厭戦気分のない初期のベトナム戦争である。戦争後期を描いた作品でも1987年のアメリカ映画「ハンバーガー・ヒル」はラストの達成感が近いかもしれない。1979年公開のアメリカ映画「地獄の黙示録」や1986年公開の「プラトーン」とは一線を画している作品である。